【大学入試「女子枠」法の下の平等を無視した制度】広島市議会議員・むくぎ太一(椋木太一)
【「女子枠」とは? 機会の平等と結果の平等】
全国の国公私立大23校の入試で、「女子枠」を設けているそうです。
この記事では「女子枠」の存在が当然という前提で話が進んでいますが、はたしてそうでしょうか。私は、法的な「平等」の観点などから、多くの問題を含んでいると思います。
「女子枠」の設置は、理工系学部で女子学生を増やそうという目論見が背景にあるようです。確かに、「女子枠」を設けて一定数の女子学生を集めれば、結果的に数は増え、”見た目”の平等に近づくのかもしれません。しかし、現代の我が国の平等とは、「機会の平等」であり、「結果の平等」ではありません。これは定説であり、まさに、<法の下の平等>というものです。
受験に当てはめれば、受験の機会は平等に与えられるが、合否(結果)は実力次第ということです。ところが、「女子枠」は資格を性別で制限しており、男子というだけで機会を奪われてしまいます。
また、学部には定員があります。定員の一定数が「女子」に割り当てられるため、男子というだけでその分、割りを食う格好になります。以上のことから、「機会の平等」、法の下の平等に反すると言わざるを得ないのです。
私はそもそも、学問の世界で学生の性別の割合を考えること自体、本質的ではないと思っています。特に理工系の分野において、学生の性別割合がどうこうということが、物事の「真理」に左右されるとは思えません。
それでも、どうしても女子学生を増やしたいのであれば、受験期までに、女子生徒も理工系を志望したくなるような教育内容にすればいいわけで、試験に手を加えることで数字合わせ的に増やすべきではないのです。
別の観点からもう1点指摘しておきたいことは、「女子枠」という女性優遇といっても差し支えないことに関し、日頃、男女平等などと声高に叫ぶ人たちは完全にスルーすることです。こうした人たちにとって、「男女平等」「ジェンダー平等」は、女性優遇を勝ち取るための手段にすぎないのだろうなぁと思う、今日この頃なのです。