頂点も地獄も味わった「江夏2世」大隣投手お疲れさま(言論プラットホーム「アゴラ」掲載記事)
こんにちは、2019年広島市議選(安佐南区)に出馬を目指している椋木太一です。
私が書いた記事が、10月5日に言論プラットホーム「アゴラ」に掲載されました。
このたび現役引退された大隣憲司投手は、私、椋木太一が読売新聞記者時代に取材した思いで深い野球選手です。
栄光と苦難とを味わいながら、前向きに挑み続けたその姿に敬意を表し、筆をとってみました。
以下、転載です。
http://agora-web.jp/archives/2035041.html
プロ野球はレギュラーシーズンが大詰めを迎えています。パ・リーグでは、西武ライオンズが10年ぶりに優勝し、福岡ソフトバンクホークスと北海道日本ハムファイターズがクライマックスシリーズ進出を決めました。セ・リーグは、3位をDeNAベイスターズと読売巨人軍が激しく争っています。
プロ野球は華やかな世界ですが、この時期になると毎年、多くの選手が野球人生の幕を下ろしていきます。今季も、日米球界で活躍した松井稼頭央選手(西武)や、通算安打2200本超の新井貴浩選手(広島)、「松坂世代」の代表格、杉内俊哉選手(巨人)ら、そうそうたる選手たちが、ユニホームを脱ぐ決意をしました。
中でも、ひときわ印象深い選手がいます。それは、ホークス、千葉ロッテマリーンズで通算12年間プレーした大隣憲司選手です。天国と地獄を味わい、人間味あふれる関西出身の左腕投手で、右打者の内角を鋭く突く直球と切れ味鋭い変化球を持ち味とし、その才能はプロ入り前から「江夏2世」と期待されていました。
軽妙な語り口に、関西弁で繰り出す当意即妙な受け答えで担当記者らを和ましてくれました。その様子は、人懐っこい表情も相まって、さながら、「野球がやたら上手、気さくなにいちゃん」と言ったところでした。
一方で、大隣選手は実に繊細なハートの持ち主でした。プロの投手は、約18メートル先のキャッチャーミットめがけて、ボール1個分(直径約7、3~7、4センチメートル)のコースを投げ分ける制球力が求められます。投手は指先まで神経を集中させます。ですから、利き手の「爪」は、いわば、大事な商売道具となるのです。
ところが、大隣選手は試合中にピンチを迎えると、マウンド上で爪を噛む癖がありました。緊張感を和らげるための、この自衛行為は、子供の頃からの癖だったと言います。自分で爪を噛み切ってしまうため、爪切りをほとんどつかったことがなかったとも話していました。さすがに、これには唖然としました。
2011年オフに結婚し、一変しました。この悪癖を妻にとがめられたのです。「プロ野球投手としての自覚がなさすぎる」と。
以降、爪をやすりで丁寧に磨き、マニキュアで補強していきました。これで爪を噛めなくなり、否が応にも緊張感への耐性が増していきました。大隣選手は、ピンチでも、マウンド上で見違えるほど堂々としていました。実際、結婚から初めて迎えた2012年に自己最多の12勝をマーク。オフには日本代表にも選ばれました。
ところが翌年、脊椎の靭帯が骨のように固くなる国指定の難病「黄色靭帯骨化症」を発症していることが分かりました。野球どころか、日常生活も困難になる可能性がありました。「江夏2世」としての才能がついに開花し、これからという時期だっただけに、どれだけ悔しかったか胸中察するにあまりあります。
しかし、夫婦二人三脚で難病と闘いながら、翌年、プロ野球選手として見事に復活を遂げます。そして、2016年の開幕前には、小児高度医療機関「福岡市立こども病院」を訪問し、難病と闘う子どもたちを勇気づけてきました。
「子どもたちのためにも1試合でも多く投げる姿を見せたい」
そう誓った時の瞳には力がみなぎっていました。
10月3日の引退登板では、自軍のマリーンズナイン、古巣のホークスナインともに、ダッグアウト前で総立ちとなり、最後のピッチングを終えた大隣選手をたたえました、両軍総出といった光景は、あまり目にしたことがありません。
ホークスの同期入団でかつてバッテリーを組んだ高谷裕亮選手が号泣する姿やそういった「セレモニー」は、大隣選手がチームメートやファンにどれだけ愛されていたかを象徴しています。通算52勝50敗。江夏2世は、記録以上に記憶に残る投手でした。
今後、指導者としてプロ野球界に携わるなら、野球人として頂点も地獄も味わった選手だけに、「味のある」選手を育てられるのではないかと思います。別の世界に飛び込むにしろ、第2の人生にも大いに期待をしたいと思います。
椋木太一